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エッセイ

朝の白湯から始まる、小さな開運の話

白湯を飲むようになったのは、去年の冬からだ。きっかけは大したことではない。寒い朝、コーヒーを切らしていて、仕方なくお湯だけを飲んだ。それだけのことだった。

ところが、これが妙に良かった。何も入っていないお湯が、胃の中をゆっくり降りていく。からだの内側の輪郭が、ほんのり温かくなぞられていく感じがする。ああ、自分にはちゃんと「内側」があるんだな、と思った。

それから毎朝、湯呑みひとつぶんの白湯を飲んでいる。やかんが鳴るのを待つあいだ、カーテンを開けて、窓の外を眺める。曇りの日もあれば、やけに空が高い日もある。白湯を飲み終わるまでの五分間だけは、スマホを見ないと決めている。

暦の本を読んでいたら、「開運の基本は朝にある」と書いてあった。朝日を浴びること、水分をとること、入口を整えること。なんだ、と思わず笑ってしまった。特別な吉日を待たなくても、開運はもう、毎朝のやかんの中にあったらしい。

今日が天赦日でも、仏滅でも、白湯はおなじ温度でおいしい。たぶん、そういうことなのだと思う。運の良い日を選ぶことよりも、どんな日も同じように大切に始められること。湯呑みひとつぶんの、小さな儀式。それがわたしの、いちばん続いている開運アクションだ。

今日の運勢を、おみくじで

凶のない開運おみくじ。一日一回、朝に引いて今日のお守りことばに。

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